Fragments of Works

仕事で便利!と思ったことや、もろもろの忘備録。さて。さてさてさて。

子ども向けワークショップデザイン実習

青山学院ワークショップデザイナー育成プログラム 16期 Advent Calendar 2014の第14日目です。だんだん、ケンケンパな様相を呈してきました。

今日は子ども向けワークショップデザイン実習のことについて書きます。以前、ちらっと書いたのですが、大人向けワークショップ実習は、どちらかというと「ワークショップのデザイン」に重点を置き、子ども向けワークショップ実習は「ファシリテーションのデザイン」に重点を置きます。

「置きます」とかわかったふうなことを書いてますけど、ファシリテーションって説明してみろ、と言われても、いまだにもやもやした部分が残ります。

子ども向けのワークショップ

子ども向けのワークショップは「逆転時間」というiOS用のアプリケーションを使って、逆再生のムービーをグループで制作することをやりました。

ワークショップは協業の場、合意形成の練習の場ですから、子ども同士が逆再生のムービーを作るなかで、その相互作用ができるように、やわやわと場を作っていきます。

でも、ちょっと想像するとわかるのですが、子どもって学校の授業に慣れているので、まずはファシリテーターを「先生」だと思ってしまうんですね。無理はないけど。だから、逆再生のムービーを作るときも、私と子どもA、私と子どもBみたいな放射線状のやり取りになってしまって、なかなか子ども同士のやり取りにはならない。

私が実習をしたときは、とても自分の意見をきっちりいう子がふたりいて、それぞれ性別も学年も違ったため、うまい具合に相互作業が起きなかったんです。で、大人が焦っている気持ちってなんとなく伝わってしまうのですよね。そして残りの子もなんとなく興ざめしていき……という、今考えても冷や汗が出そうな場になってしまいました。

子どもの責任ではなく、私の責任です。これは。

実習は、それを別のグループの人がしっかり観察をしてくれます。子どもたちがどんな会話をしていたか、そのときの様子などをしっかり記録してくれます。記録は記録で、とても勉強になります。

いろいろ反省点はありますが……。記録の方といろいろ話をして思ったことは。

  • 体育館のような広い場所は、じっくりものを考えるというより、何かをガンガン試してみる場になりやすい(広いし、開放感あるし)。そこで、じっくりものを考えさせようとしてしまった。
  • 子どもと子ども同士をどう結びつけてよいかわからなかった。途方に暮れた。

特に後者に関しては、かなり時間が経つまで、光が見えなかったんです。あ、これは下手すると、その後まで悪く響くなと自分で思ったほど。

それがなんとなく解決することもあるかも知れないと思えたのは、全コースが終了した飲み会の場でした。大人向けのワークショップデザインの講師だった方が、「それはひとえに経験が浅いから。大丈夫。子ども同士をなんとかしようと思わずに、子どもが作ってくる作品を真剣に見て『おもしろい』『おもしろくない』ときちんと評価していくことが大事。そうすると、子どもも作品に対して真剣になってくる」という話をしてくれました。

制作に夢中になれないと、有効な相互作用は生まれにくい。子どもが目指すところを自分が見ておらず、別の場所を見ていたから、子どもも同じように別の場所を見てしまったんだなあと。

それでも不思議だったのが、そのワークショップが終わって体育館から引き上げるときに、ひとりの子がほんとうに確信を持って「うん、おもしろかった」と何かを反芻するようにいっていたことです。私のファシリテーションよりも、子どもの学ぶ力のほうがよほど強いのかも知れません(でもこれはきっと、怪我の功名的な話)。

ファシリテーションに関しては、もっともっと分析をしないといけないなと思っています。できればビデオにとってほしいくらい。もっと子どもの間で何が起こっていたのかを冷静に判断したいんですよね。

あ、でも子ども向けのワークショップは個人情報保護の観点もあり、はじめにきちんと了承をとって、写真撮影や記録を行っているので、そうそう気軽に映像を使ったり見たりするわけにはいかないのでした。

ファシリテーションに関しては、そんなわけでかなりもやっとしたまま、もやっとしたものを抱えています。

大人向けワークショップデザイン実習

青山学院ワークショップデザイナー育成プログラム 16期 Advent Calendar 2014の第10日目です。昨晩はお腹が痛くて9日目が空いてしました……っていうと、なんだかズル休みしている子どものようですが、ホントです。

大人向けワークショップのデザイン

さて、今日は、大人向けのワークショップをデザインしたときのことを書こうかなと思います。

ワークショップデザイナー育成プログラムの16期では、2回のワークショップ演習がありました。2回の実習の狙いは違いがあります。

  • 大人向けワークショップ:主にワークショップデザインに主眼を置く
  • 子ども向けワークショップ:主にファシリテーションに主眼を置く

こんな感じ。

大人向けワークショップは、主に育成プログラムを修了した方が参加者としてきてくれます。

ワークショップで悩むであろうこと

大人向けのワークショップの課題は「非日常を感じさせるような場面を1つは入れる」(うろ覚え)というのが条件でした。でも、これ、よく考えると、非日常じゃないワークというほうがむしろ難しくて、ほとんどのワークは非日常と言えます。つまり、条件はあってないようなもの。

ま、それはそれとして。大人向けのワークショップで悩むだろうな、と思ったのが、「なにゆえこのワークショップに参加せねばならないのか」という説得。特に社会人の場合、ワークショップ主催者が友達とか、会社の研修で受けろと言われた、とかなんらかの強制力が発動しない限り、メリットがないと参加しませんからね。

セミナー形式の勉強会だと「明日から使える!」とか、「すぐに役立つ!」とか、そういう文句が踊りますものね。

ワークショップにだって、メリットはある。だけど、それを事前に言葉で説明できちゃったら、ワークいらない(笑)。言葉だけでいいでしょ、ってことになる。

実際の大人向けのワークショップでは、このあたりの「動機付け」をどうやっているのか、とても興味のあるところです。

ワークショップデザインで悩んだこと

ワークショップのデザインは5名程度のグループで行います。ワークショップをデザインして何度も実施している人から、まったくの初心者までいます。グループは「レベルごと」なっていました。私は「初心者チーム」。

まー、デザインに悩んだといえば悩んだのですが、それよりも大変だったのが、「ものごとを決めていくこと」です。つまり、他者理解と合意形成のプロセスです。

ワークショップのワークショップという微妙な二重構造の中での勉強だったんだなあ、と思います。

実際に面と向かって話をする時間は限られています。授業で会う時に活動するだけでは時間が足りない。このあたり、プログラムを運営する事務局のかたも心得ていて、いつまでになにをするのか?という取り決めを行うシートが配布されたりしました。

我々は、授業と授業の間の細かなやり取りはLINEで行いました。ドキュメントは「ノート」機能を使ってログとして流れていかないようにして、やり取りはログで。

みんなそれぞれ自由になる時間は異なっていたと思いますが、わりと「人のレスにはなるべく早く答える」ことをみんなが自然と(かなりプレッシャーあったと思うけど)心がけてくれていたので、返事がない!というようなストレスはほとんどなかったです。

そういう意味では、同じ実習に参加していても、コミットメントにはかなり差があるのではないかと思いました。コミットメントが低いから悪いというわけでもなく、高いからいいというわけでもない。

ここらへん、ワークショップに限ったことではなく、イベントを主催するとか、会議を主催するとか、日常生活でもかなり経験することではありますが。

コミットメントの総和と、ワークショップのできはイコールではないから、ドライに考えると、終わりよければ、すべてよしという考え方もある。いやいや、そうじゃないだろう、プロセスだろうという考え方もある。

ただひとつだけ言えるのが「自分が基準」で「自分が普通」を押し通そうと、するといろいろつらくなる場面があるだろうな、ということです。

「基準」や「普通」も含めて、ニュートラルに構える……武道家が身体の力を抜いてふわっと立っていても、ひとたびコトが起これば、さっとその状況に対応していくような感じ。そういう身体感覚が必要なのかなって思います。

なっかなか難しいけど。そういう感覚を身に付けるワークとか楽しそうですね。話が思いっきり横道にそれて、終わります。

対面授業が始まった

青山学院ワークショップデザイナー育成プログラム 16期 Advent Calendar 2014の第7日目です。第6日目の土曜日はうっかり気を抜いて、お留守な日になってしまいました。失礼しました。

さて、前回まで対面授業が始まるeラーニングの話でしたね。今回は、対面授業で印象に残ったことをいくつか書いておこうかなと思います。

当時のノートが残っていて、それを見ながらつらつらといろいろなことを思い出しつつ。

刈宿先生の授業

対面授業の1日目は、ワークショップデザイナー育成プログラムの運営をなさっている刈宿教授の授業でした。大学教授といっても、ぜんぜん「教授」しない教授も多い中(笑)、刈宿先生は久しぶりに「師匠臭」のするかたでした。人を育てる人の匂いって、なにかあるんですよね。なんだろう。言葉にするとおかしな感じなのですが、「不必要なところでジャッジしない」「必要とあらば容赦なく叱る」そんな感じ。実際、叱られたことがあったわけではないのですが……。

刈宿先生の授業ではまずワークショップの定義を確認しました。第1日目にワークショップデザイナーってなんだろう?ということを書きましたが、こちらは「ワークショプ」の定義です。それは……。

ワークショップとは、コミュニティ形成(仲間づくり)のための他者理解と合意形成のエクササイズ(練習)。

これが前提条件を使い、これがないものは「ワークショップ」としない。ということになってました。たぶん、これ以外の定義ももちろんたくさんあると思うのですが、定義は「正しい、正しくない」ではなく、「ここを出発点にするよ」という単に決め事の問題だと思っています。なので、育成プログラムでいうところの「ワークショップ」というのは、こういうものなんだな……と思いました。

なにしろ「他者理解」と「合意形成」ですからね。もう一筋縄ではいかない匂いがプンプンしました。人間ってほっておくと他者は「排除」しがちです。異質なものを排除すると、コミュニケーションのコスト(とか言っちゃいますけど)がぐっと下がるので、まー、楽と言えば楽です。仲間うちで、これってこうだよね、そうだそうだ!って言っているほうが、人間、なんぼか楽です。

でも、実際の社会はもうそうなってないよ……という話を刈宿先生はなさってました。東京で生活していると、駅やデパートのアナウンスはだいたい日本語、中国語、ハングルだし、ムスメの保育園のお友達にも、ご両親のどちらかが日本以外で生まれたかた(実際国籍を聞いたわけじゃないので、こういう書き方に、笑)も数人いて当たり前。シングルマザー、シングルファーザーもおそらくいらっしゃる。自分が「普通」じゃないわけです。政治的にどうのっていうより、事実としてです。

そしてそのエクササイズのために、「恊働性」「即興性」「身体性」を活かしていきます。言葉だけでいうとなんのこっちゃですが……。

そうワークショップの話の難しいところは、言葉だけで伝えようとするとたいてい「なんのこっちゃ」になることが多いことなんです。だって、言葉で言えちゃったら、ワークショップいらないってことだし、とにかくやってみればわかる!じゃあ、なんだかタチの悪い宗教のようです。

刈宿先生はそれを理解するために簡単なワークをやってくれました。

わりばしのワーク

そこでひとつ刈宿先生がワークをやってくれました。鞄の中から突然わりばしが登場します。そして、教壇に2人呼ばれます。そしてふたりで並んで椅子に腰掛ける。そしてお互い右手の人差し指を出して、同じくらいの高さにするように言われます。

で、そのふたりの人差し指を架橋するようにわりばしを置くのです。

そして『「せーの」で立ってね!』って言われます。すると何が起きるか……。これ実際に試してもらうといいと思います。

連想ゲームのワーク

ワークショップには即興性があるといいます。たとえば、連想ゲームのような。その場で考えて、何が出てくるかわかりませんよね。前の人の言葉に対して、連想した言葉を付け加えていく連想ゲームをするとわかります。

新聞紙のワーク

もうひとつワークショップは身体性を重視します。たとえば人には「パーソナルスペース」というのがあります。んー、簡単にいっちゃうと「なわばり」ですね。これ以上自分に近づかれると、「近づかないで!やめて!」と相手を押し返したくなる距離。だいたい握手するくらいの距離がパーソナルスペースだそうです。

人間はみんなそういう身体性を持っている。たとえばこの「パーソナルスペース」を突破するにはどうしたらいいか。ただ、「さあ、みなさん、仲良くなるためにぎゅーっと近づきましょう!」とか言ったって、誰もやりません。気持ち悪いし。嫌だし。

でも「新聞紙に何人乗れるかゲームします!」っていうと、話はちょっと変わってきます。なるべく多くの人が1枚の新聞紙の上に乗るには、ぎゅーっと近づかないといけない。そこで知らず知らずのうちに、パーソナルスペースを突破できる可能性がある(といっても、これも「嫌」っていう人、当然いると思います)。

恊働性、即興性、身体性

これらの恊働性、即興性、身体性をうまく取り入れながら、コミュニケーションの場をデザインしていきます。で、そこで大事になってくるのが、さっきの前提条件です。

ワークショップとは、コミュニティ形成(仲間づくり)のための他者理解と合意形成のエクササイズ(練習)。

これがないまま、人をコントロールするような場を作ることだって、実はできます。だから「自分はどういった目的のために」コミュニケーションの場をつくっているのか、常に意識していないと危ないことになるなあ、というのが私の感想でした。

その反面、こういうテクニックをたくさんストックしたい。デザインのためのパーツをたくさんストックしたい、という気持ちも生まれました。

対面授業のひとつのトピックを書くだけでも、3,000文字弱ですね。

さて、明日はGoingHiroさんが何か書いてくれる予定。書いてくれたら、そっとリンクを付けておきますー。

eラーニングとその野望

青山学院ワークショップデザイナー育成プログラム 16期 Advent Calendar 2014の第4日目です。

と、書き始めた現在、23時56分です。すみません、ちょっとズルしました。

eラーニング始まる

選考会が終わると、もろもろの書類が届き学習が始まります。当時のガイドブックを読み返してみると、対面講座が始まったのは5月10日でした。それまでの4月14日〜5月9日まではeラーニング基礎理論科目というのを自宅受講します。

基礎理論科目は以下の通り。


  1. ワークショップの定義
  2. ワークショップって何だ?
  3. ワークショップと学び
  4. ワークショップを学習としてとらえる
  5. ワークショップと演劇

ここで「ワークショップ」という学びの特徴を、ふんふん、とビデオ講義で学習します。「座学」ってやつですね。しかしながら、それらのレポートをきちんと提出しなければいけません。そのうちの1本は対面講座でみんなで共有しながら、お話をするのに使ったりもします。

ほとんどの受講生のGWはこのeラーニングに消えたでしょうね。きれいさっぱりと。

でもはっきりいうと、このeラーニングだけでなにかがわかった!ということはほとんどありませんでした。もちろん話を進めるための「基本的な用語」や「考え方」はストックされていくのですが、これってどうやって使うんだろ?という感じでした。棒切れ拾って、ぶんぶん振り回しているような(笑)。

専門用語と定義は覚えたけれど、腑に落ちていない宙ぶらりんな状態。それをより腑に近づけるべく、ワークショップを学習方法のひとつとしてとらえ、従来の学校教育などの「座学」とどういった相違点があるのかを「中高校生」に説明しなさいという課題がでました。

私の書いたレポートは次のようなものです。

みなさん、こんにちは。今日はみなさんに「学ぶ」ということについて、考えてもらいたいと思っています。こういうことを言われると、みなさんは、「学ぶ」なんて、毎日の授業でやっていることじゃないと思うかもしれません。そうです。それも「学ぶ」ことのひとつです。授業では、いろいろな知識を学びますよね。たとえば、国語。この文章おそうですが、みなさんはたくさんの言葉とその意味を知ることで、この文が何を伝えているのか、理解することがdけいます。みなさんが、幼稚園、保育園、小学校のときよりも、ずっと複雑な文章をよみこなせるようにあんったのは、毎日の学習の積み重ねのおかげです。 でも、ちょっとここで考えてみてほしいことがあります。誰かに「こんにちは」と言われたら、こちらも「こんにちは」と答えることは、学校にきて教わったことでしょうか? おそらく多くの人は学校に入る前から、「こんにちは」と答えることができたと喪います。学校の授業で習っていないことでも、理由はわからなくても、「こうしたら、こうするもの」という行動は、実は大人たちに「そうするものですよ」と教わったり、ただ真似をしたりして、学んできたことのひとつなのです。 ずいぶんと簡単なことでも、「学ぶ」に入ってしまうんだなと思われるかもしれません。では、もうちょっと別の場面を考えてみましょうか。たとえば、別の学校の生徒が交流などで、自分の学校にきて、自分たちを紹介しながら「こんにちは」という場合です。この場合、まず、自分たちの紹介をするのですから、自分たちのことを改めて「知る」必要があります。◯◯さんはどんな人だろう。◯◯くんは、どんな人だろうと考えます。そうすると、まず、自分は自分のことをどんな人間だと思っているか、また、友達は自分のことをどう思っているのか、知ることができます。 これまでの「学ぶ」は正解はひとつでした。国語のテストでも◯がつく答えと、×がつく答えがあります。「こんにちは」に「こんにちは」と答えるのも、正解はひとつです。 一方で、「自分がどんな人間かを知る」の答えは、ひとつではありません。自分が知っている自分もいれば、他人が知っている自分もいます。ここで大事なのは、みんなで話し合いながら「◯◯さんはこんな人なんだね」と納得したり、「自分はこんな人間なんだな」と改めて知ることです。これも「学ぶ」ことのひとつです。この学びはひとりではできません。友達という他人がいて成立する「学び」です。 学校という社会を出ると「正しい答えがひとつだけある」場合は少なく、むしろほかの人と一緒に、納得する答えを探していく場面が増えます。これも「学ぶ」ことのひとつなんだと捉えると、みなさんのこれからの人生がずっとおもしろくなると思います。

3つの学習観

レポートでは3つの「学習観」をできるだけわかりやすく伝えるという目的がありました。ちょっと破綻しているけど(笑)

  1. できる=行動主義的学習観
  2. わかる=認知主義的学習観
  3. わかちあう=社会構成主義的学習観

ワークショップが深く関わるのは、3の学習観です。もともと定義された意味を「知る」のではなくて、みんなで意味を「定義していく」過程です。意味はあるものではなく、創り出すものです。ここでの価値は「生み出すプロセス」と「生み出した結果」の双方にあると考えます。

職場の学習観

個人的な感想ですが、アメリカなどでは「生み出すプロセス」をフォーマット化(文章化、ツール化)して流通させるのが大変上手です。特に、日本のITの開発系では「結果」がほしいゆえに、その「結果」を「生み出したプロセス」を、後追いして取り入れていくような印象があります。「結果」が証明されていれば、その「プロセス」を取り入れてもいいぞ、と。いわゆるエビデンスベースです。

ほんとうは教えてもらったプロセスをがんばって取り入れるよりも、「プロセス」自体を創り出していけるのが、いちばん楽しいのだろうなあなどと、当時のノートには書いてありました(笑)。とんでもない高望みをしながら、対面講座、開始を待つ日々だったんですね。

明日は!

さて、明日(ごめん今日になっちゃった)は、同じプログラムで学んだえりぃが登場してくれます。どんなこと書いてくれるんでしょうか。楽しみます。

ワークショップデザイナー育成プログラム選考会

青山学院ワークショップデザイナー育成プログラム 16期 Advent Calendar 2014の第3日目です。

といいながら、毎日夜9時過ぎあたりから書き始めてますが(笑)。

選考会の目的(私が感じたこと)

ワークショップデザイナー育成プログラムには「選考会」があります。これを受けているときは、どきどきだったのですが、終わってから思うことはお互いのミスマッチを防ぐためのものなんじゃないかということです。

優秀な人をとるとか、いわゆる「受験」的な観点ではないという印象です。あくまでも印象レベルですけれど。出願する人はワークショップに対して、さまざまなイメージや、こういうことに役立つだろうという目論みがあると思います。

それが、実際にこのプログラムで体験できることなのか、そうでないのか。もし大きく外れる場合は、お互い「ガッカリ」します。12万(私のときの受講料)ほどと、3ヶ月間のほとんどの休日を返上で学ぶわけですから、もしミスマッチがあったら大変です。不幸です。

選考会の実際

さて、私の出席した選考会では次のようなことが行われました。


ワーク1:5人程度のグループで、コマドリアプリを使って短い動画をつくる ワーク2:短いビデオを見たあと、それについて思いつくことを制限時間のなかで書く 面接:講師の先生方と3人程度のグループ面接


これらの様子は出席者の許可を得た上で、ビデオ撮影されていました。

ワーク1では、おそらくチームで何かをすることに「大きな支障」がないか。ワーク2では、比較的短時間で自分の考えを文章化できるかどうかをチェックされたと思います。文章化といっても作家のような美文でなくても、立派な考察を求められているんじゃないと思います。考えたことを文字に変換して細かいことは気にせずに、どんどんアウトプットできるかが大事なのかなと思います。

最後の面接では、たぶん「ワークショップ」というものに対して持っている現時点でのイメージや、それをおぼろげながらどんなことに役立てていきたいのかを聞かれます。

私の場合は、エンジニアの技術情報を配信するサービスに従事していたので、彼ら、彼女らの「学び」の方法のひとつとして「ワークショップ」というものが利用できるのか、できないのか、もし利用できるとすれば、どんな方法があるのかを実際に体験して知りたいと思っていました。

この「選考会」自体もかなりおもしろいものでした。そののち、実際にクラスがスタートすると、ほんとうにさまざま分野からの人が受講していることが明らかになるのですが。

でも、この選考会のワークをやってみて「求めているものが違うな」と出願をやめる方もいるようです。ワークショップも学びの方法論のひとつであるので、向き、不向きがあります。思惑と違うことも当然ありますよね。

そして受講へ……

そしてめでたく選考を通過。これからは3ヶ月間、eラーニング、対面授業、実習の3本立ての「ちょうこってり」な学びが始まります。

ワークショップデザイナー育成プログラム申し込みのきっかけ

青山学院ワークショップデザイナー育成プログラム 16期 Advent Calendar 2014の第2日目です。

なんで受講したいと思ったのか

簡単に言っちゃうと、ワークショップに参加してみたら、その主催者がワークショップデザイナー育成プログラムの修了生だったと。

そんな感じです。

そんな感じ、ってどんな感じよ? と興味のあるかたは以下もどうぞ。

知り合いのワークショップに参加してみた

社会人になってから「ワークショップ」に参加したのは、たぶんそれが初めてでした。Facebookで知り合いが、自分のキャリアを考えるような集まりをやろうかと思っているんだけれど、興味ある人いますか? という3行くらいのさらっとした募集がかかりました。

普段、週刊でメールマガジンを発行するような媒体の編集をしているので、毎日はほとんどそのための仕事で埋め尽くされてバタバタとしてしまい、そういえばキャリアってまじめに考えたことがなかったな、と気軽な気持ちで参加しました。

ちょっと、立ち止まって考えてみたい時期にきていたのかもしれません。

集まったのは10人足らずの女性。ワークショップっていうのが初めてだったってこともあって、「とにかく出されたものは、いったん全部食う」という気持ちでした。疑問があれば、それはそれとしてためておけばいい。軽い。だいぶん軽いです。

こんなワークが始まりました

さて、そのワークの内容ですが、およそこんな感じ(うろおぼえ)。


  • 折り紙を好きな形にする
  • それを「大事なもの」と思って、近くの人とあいさつしながら交換
  • 挨拶と交換が終わるとなんとなく部屋が暖まって、場がほぐれてくる
  • 自分の手に残った「形」を、なにかに見立てる
  • 紙が配られて、そのものの名前、職業、好きなものなどをカードに記入
  • そして3〜4人程度のグループにわかれて、自分のつくったキャラが住む場所を指定される(私たちのグループは宇宙コロニーでした)
  • 大きな模造紙に彼らが住む街を書いていく。彼らが働く場所や市役所などいくつかの決まった条件にしたがって、みんなで相談しながら書いていく

と、文字にしてしまうとこんな感じなのですが、わいわいと相談しながら、自由に街をつくっていくのはけっこう楽しいのです。ちょっとこどもの頃に、みんなで砂場でいろんなものをつくって遊んでいた、あの活き活きとした感覚が戻ってくる感じ。初対面の人なのにね。そういうことができてしまうのです。

一度でもそういう「共同作業」をやると、短時間なら短時間なりに相手のことがわかってきます。この人はこういうタイプの人なのかな。と。

たぶんこれは個人差があって、絶対これができない、ムリ、なにそれ?っていう人も、もちろんいると思うのです(これはプログラムが始まってからの実習でイヤ〜というほど思い知らされることになるのです)。でも、それをなるべく低減するような仕掛けがいろいろされていたんです。そのときはまったく気付いていませんでしたが。

パーソナルビジネスキャンバスを書く

町づくりのワークがいったん終わったあと、今度はパーソナルビジネスキャンバスというものを使って自分のことを分析していく作業が始まりました。

パーソナルビジネスキャンバスに関しては、このスライドでさわりがわかります。

あれ? ちょっと待って

でも、ここでたぶんたいていの人が「え? え?」ってなると思うんですよね。前半の「街づくり」と後半の「キャリア分析」ってなんか繋がりあんの? あんの? 意味あるの?って。

ものは試しで、いきなり「さあ、自分のキャリアを分析しましょうか。これ書いてください」って言われたときのことを考えてください。たいていの人が「フリーズ」すると思うんです。そんなトートツに、これ書けよ!って言われても、なかなか難しい。

しかしながら、みんなでわいわいとものを考えた後の頭って、ひとりでちんまり座って考えているときの状態とはちょっと違っているんです。考えたことを「言語化」したり「視覚化」するスピードが格段に上がっているんです。

文学作品や芸術作品をつくっているのではないので、ここでは「うまい/へた」はあんまり関係ないです。とにかく「アウトプット」して、次の思考へ繋げていく。

仕事をしている人だと、思い当たることがあるかもしれません。会議などがふとした瞬間に盛り上がって「転がり始める」ときがありますよね。

この「感覚」はちょっと「おもこわい」

この自分の思考にドライブがかかる感じはとてもおもしろかった。おもしろかったと同時にこわかった。これ、悪用しようと思えば、いくらでもできちゃうんです。たぶん。たとえば、宗教的ななにかの「恍惚状態」みたいなもの。ああいうのも、つくろうと思えば、たぶんできる。

ワークショップ的なものが苦手、とか嫌い、っていう人は、おそらくそういうことに対する至極まっとうな「防御反応」があるんだと思います。

でもそうではなくて、きちんとした目的が設定されていれば、これは有効に使える。

じゃあ、申し込んでみようか

書類を一通りそろえて応募したら、あとは選考会があるらしい。ぬぬ。「選考会」という響き。次回はこの「選考会」のことを書こうかと思います。

ワークショップとか、ワークショップデザイナーってなに?

青山学院ワークショップデザイナー育成プログラム 16期 Advent Calendar 2014の第1日目です。

ワークショップってなんだろね?

今年4月下旬から7月まで青山学院大学社会情報学部が主催するワークショップデザイナー育成プログラムというのに参加しました。

以下、ワークショップデザイナー育成のためのカリキュラムを修了したばっかりなので、自分で自分の学んだことを振り返りながら、ワークショップデザイナーってたぶんこういうことをする人だと私は思っている、ということを書きます。

念のため野暮なことを書いておきますと、これは学校の公式見解じゃなくて、あくまでも私個人の意見です。nsotoという人がこんなことを考えているよ、というだけの話です。

ワークショップというと、みなさんはどんなものをイメージしますか? たとえば、工作を教えてくれる先生がいて、先生の指導のもとに、それぞれが自分の作品を作ったりする……そういうものもワークショップと呼ばれることがあります。

では、私が勉強した「ワークショップ」はなにかというと、「コミュニケーションの場」と言われます。とたんに胡散臭度が50%アップ(当社比)したような気になりますが、人と人とが主体的に関わって、問題を解決したり、あるいは何かを作り出したりする場です。

まー、言葉でしれっと言っちゃうとそんな感じなんですが、これが難しい。

たとえばマンションに住んでいて、共用部分の屋根が壊れた、と。じゃ、これをどう解決するか。まず、「これをなんとかしたいから、みんなで決めなくちゃ」っていう人が出現する確率もよくわからない。

仮にそういう人がいたとしても「さあ、みんな集まってください」と声をかけても、「それは大変、私も参加しなくっちゃ」って思う人がいるかもちょっとわからない。

「私も参加しなくっちゃ」っていう人は「屋根が壊れた」ことを自分の問題だと思ってる。だから、それを解決しなきゃと思っている。ある人が、そういう状態になるかどうか、これはかなりギャンブルなわけです。

私、想像しただけで「あー、無理だわ。そりゃー、無理だわ」って思いますもん。

ワークショップデザイナーってなんだろね?

そこでワークショップデザイナーが登場します。いや、別に登場しなくてもいいんですけど。登場すると、ちょっと楽しいことがあるんです。ワークショップデザイナーっていうのは、「コミュニケーションの場づくりの専門家」って言われてるそうです。

なにゆえ専門家かというとですね。たとえマンションの屋根が壊れていても、屋根の直し方をレクチャーできるわけじゃないんです。さあ、みなさん、私が教えますんで、こうやって屋根を直してみましょう。一緒にやりましょうと指導する人ではありません。工作ワークショップとはちょっと違う。

だいたい私、むちゃくちゃ残念ながらマンションの屋根は修復できない。

みなさんが集まって、話をするっていう「場」をつくれる人なんです。嫌がる住民を会議室に引っ張ってくる……みたいなことはできませんし、やりませんけど、もし、マンションの住民の方が集まって話をするとしたら、できるだけみんなが「これ、自分の問題かも」って思って、自分から参加してくれたり、意見をきびきび言える人も、そうでない人も、話し合いに参加して、じゃー、どうしよっか、ってことを話せる場をつくるんです。

さらにいうと、もしみんなで話し合って、屋根が直ったら「この屋根を直すのに、みんなで話をしていろいろ決めたな。私もがんばったよな〜」って、ひとりひとりが思う。

そんなことできるんかい! って思いますよね。だって、いろんな人がいますもんね。この世の中。

どんなことを教わったんだろね?

じゃー、そういう場をつくるためにどうするの? どうやればいいの? ということになるわけです。

それはですね!「さ、きみが、コミュニケーションの場をつくってみよっか」って言われるわけです。青学の場合。

なんというか、自転車に乗れるようになるためには、実際に自転車に乗るわけです。「自転車の乗り方っていう本」っていうのがあったとして、それを100万回読んでも、ほとんどの人は自転車に乗れるようにはなりません(100万回読むのは楽しいと思うし、すごいけど)。だから、実際にコミュニケーションの場をつくることを、ジャスト・ドゥ・イットで、レッツ・トライするわけです。

でもいきなり自転車に乗ったら、派手に転んだり、いきなりでかい道路に出て、とんでもない目にあったりしますよね。

だから、できるだけそうならないように、授業にはいろんな工夫がされてます。でも、基本「やる」です。なので、自分で「やる、私やるわ!やったるわ!」って思ってないとできません。ふん、って不登校になっても、先生が自宅まで迎えにきてはくれません(試したわけじゃないので、わからないけど、たぶん)。

じゃ、どんなことをやったのか、というのを12月、不定期連載でお届けします。12月、できる限り、ちょくちょく登場しようかと(笑)

今日はさわりだけで、すみません。